2008年10月8日水曜日

10/8 Today 閔妃暗殺事件(1895)

実質的な朝鮮の政治権力者であった皇后閔妃が暗殺された:
閔妃 - Wikipedia: "閔妃(ミンビ、びんぴ、1851年10月19日 - 1895年10月8日)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。尊号は孝慈元聖正化合天[2]、諡号は明成太皇后なので、孝慈元聖正化合天明成太皇后となる。韓国では明成皇后、中国では 朝鮮王后(閔氏)または明成皇后と呼ぶ。明成皇后が卓越した政治的手腕を持っていたのではないが、夫の高宗が政治と妻に全く関心を持たず、関心が深いのは専ら多数の宮女や妓生達を相手にした漁色と酒といった放蕩三昧のみという愚昧な人物だったことから、明成皇后は王室に嫁いでから数年もしないうちに王朝の政治に深く介入するようになった。"
この暗殺事件は、乙未事変(いつびじへん)、「明成皇后 弑害事件」とも呼ばれる。


事件の真相はいまだに藪の中:

乙未事変 - Wikipedia: "親露に傾いていく閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日、それらの勢力により景福宮にて殺害され、遺体も焼却された。

この事件では朝鮮が親露化によって日本の影響力が低下することを恐れた日本公使・三浦梧楼が暗殺を首謀したという嫌疑がかけられた。外交官が王族を殺害することに関与するという行為に、日本は国際的な非難を恐れ三浦を含む容疑者を召還し裁判にかけたが、首謀と殺害に関しては証拠不十分で免訴となり、釈放した。

また、後に与謝野晶子の夫となる与謝野鉄幹も加わっていたとされたが、当日の木浦で釣りをしていたアリバイがあり広島地裁検事局は免訴とした。"

日韓両国の間には、とにかくいろいろあった。でも最近の日本の若い人達は、こんな歴史は聞いたこともないだろう(と思う〕。考えさせられる。

0 件のコメント: